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    3/6/2009

    怪しい広辞苑175「第四版187ページ・海豚」

     <だきまくらのイルカならそばに置ける 画像クリックで説明画面へ>
     広辞苑第四版187ページ「海豚」の6行目。「しばしば船舶に平行して走る。」とあるが、これでよいのだろうか。
     普通に考えると、ここは「しばしば船舶に並行して泳ぐ。」と表現するのがよいように思う。広辞苑第四版では「平行」となっているが、どう考えても「並行」という語でなければおかしい。同音異義語の問題が出されたとき、広辞苑で「海豚」の説明を読んでいた学生は点を落とすだろう。
     第一、「平行」になるはずがない。船舶は常に直線的に走っているわけではないのだ。海豚が寄ってきた船舶は、しばしば真っ直ぐにしか走ることができないため、目的地に無事たどり着くことができなくなるということなのだろうか。広辞苑風に「平行」をつかえばそうなってしまう。
     もっとも、「しばしば」というのは、船舶の進路が真っ直ぐだったり曲がったりしたときの、真っ直ぐだったときのタイミングをいっているのだという屁理屈を述べるかもしれないので、気をつけなくてはならない。
     また、「走る」というのは「船舶」の方であって、海豚ではないだろう。確かに海豚は哺乳類だが、5行目で「後肢を欠く」と広辞苑自らが説明しているのだから、走ることはできない。船舶の方は足がなくても、自動車が道の上を「走る」のと同じで、水の上を「走る」と表現するのが日本語の慣わしだ。
     広辞苑第四版では、「海豚が走る」ということをどうしても述べたいのだろうか。もし、そのような表現を流行させようというのなら、「鯨が走る」とか「ジュゴンが走る」とかも宣伝すればよいだろう。もっとも、ジュゴンの場合はゆったりした動きが多いように思うので、「ジュゴンが歩く」という表現も生み出されるかもしれない。
     これら「平行」と「走る」の二点において腑に落ちない表現をとっているが、これが新しい日本語の姿となっていくのかもしれない。その移行期にあっては少し混乱も生じるだろうが、日本語表現の統一に向け、辞書が持っている役割を十分に果たしていくように利用を促していけば、いつの日にか統一日本語表現なるものが辞書を下敷きとして実現するに違いない。それが過去の日本語とどういう異同があるにせよだ。収録語彙の多さからいって広辞苑に今後そうした機能を期待することになるかもしれないからだ。
     しかし、広辞苑第五版や第六版で変更がなされていれば、第四版のこの部分が単に不適切な表現であったということの証拠にしかならない。これでは何ともつまらない。

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    <かわいすぎ目覚まし 画像クリックで説明画面へ>
    3/4/2009

    怪しい広辞苑174「第四版186ページ・炒船」

    <煮干しのだしは確かにうまい 画像クリックで説明画面へ>
     広辞苑第四版186ページ「煮干加工設備をした船」の2行目。この表現に不自然さを感じるのは僕だけだろうか。
     どう表現すれば自然な日本語になるのだろう。例えば、「煮干加工設備を搭載した船」「煮干加工設備を整えた船」「煮干加工設備を備えた船」「煮干加工設備をもった船」「煮干加工設備のある船」「煮干加工装置を設備した船」……。考えていくうちに最初よりも不自然な表現になってしまいそうなのでここまでにしておこう。
     こうした不自然だと思われる表現を考えるときにはどうしたらよいのだろう。もしかすると、普段使わない単語を使っているために不自然な感じを受けているだけなのかもしれない。
     では、普段使う言葉に置き換えてみよう。不自然な感じがするのは「○○設備をした○○」の「設備をした」というところなので、例えば、○○の部分を「煮干加工」や「船」よりも身近な「医療」や「マンション」という日常の言葉に置き換えてみる。
     すると、やはり「医療設備をしたマンション」となって、僕には少し不自然な感じがする表現になってしまう。これをいろいろな他の言葉に置き換えてみて、やはり不自然な感じがすれば「設備をした」という部分に問題があるのだろうと見当をつけることができそうだ。
     では、「医療設備を搭載したマンション」「医療設備を整えたマンション」「医療設備を備えたマンション」「医療設備をもったマンション」「医療設備のあるマンション」「医療装置を設備したマンション」……としてみる。
     すると、これらのなかにも自然な表現に感じられるものと不自然な表現に感じられるものが出てくることに気づく。これは最初に「煮干加工設備をした船」の中の「設備をした」という部分に「煮干加工」と「船」の二つの単語が規制をかけているため、「設備をした」に相当する別の言葉を考えたときに、その言葉が「煮干加工・船」傾向をもってしまったことによると考えられる。
     つまり、「医療・マンション」傾向をもった「設備をした」に相当する別の言葉との間に、共通する意味合いと共通しない意味合いとが生まれたことによって、不自然な表現と自然な表現の両方が出現したと考えられる。
     例えば、「医療設備を搭載したマンション」というのはどのように考えても奇妙だ。「搭載」という言葉はもともと建物に使うものではないからだ。
     では、「無線・車」を「○○」に入れてみよう。「船」に対して「車」ならば、どちらも乗り物だから、「設備をした」への規制のかけ方が「船」に似ているはずだ。「設備をした」を別の言葉に置き換えてみよう。「無線設備を搭載した車」「無線設備を整えた車」「無線設備を備えた車」「無線設備をもった車」「無線設備のある車」「無線装置を設備した車」……となる。これならば、先程のような不自然さの感じられる幾つかの表現がなくなっている。
     これは、「設備をした」に対する「マンション」や「車」からの規制の方が、「医療」「無線」からの規制よりも、強くかかっていたということを意味しているように見える。
     果たして、広辞苑第四版風の「無線設備をした車」という表現はやはり不自然な表現なのだろうか、それとも自然な表現なのだろうか。
     改めて考えれば考えるほど、どちらでもよいように思われてくるが、今のところ、「○○を設備する」「○○設備を○○する」というような表現の方に日本語としての自然さを感じる。これに対して、「○○設備をする」という広辞苑第四版風の表現には今のところなじめない。
     もちろん、僕の最近の言語感覚は変調を来しているかもしれない。基本的には先程まで頭にあったことが何であったか忘れてしまうというお年頃だからだ。
     悩めるポンコツ脳を広辞苑は鍛えてくれるので、助かるといえば助かる。しかし、辞書にあっては、すっきりした表現がよい。まだ、十文字程度の余裕が紙面にある。そこを有効に使ってさわやかな表現を試みていただけるとありがたい。

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    3/1/2009

    怪しい広辞苑173「第四版184ページ・イラン」

    <イランイラン…名前だけは聞いたことあるぞ 画像クリックで説明画面へ>
     広辞苑第四版184ページ「イラン」の6行目。「人口五二五二万(一九八八)。首都テヘラン。」とあるが、これはどうだろうか。
     広辞苑第四版で「テヘラン」を調べると、「人口六〇二万二千(一九八六)。」とある。この一九八八年と一九八六年の二年の差は何を意味するのだろうか。不可解だ。
     因みに、広辞苑第四版184ページ「イラク」の六行目には「人口一七六五万(一九八八)。首都バクダード。」とあり、同じく第四版2047ページ「バクダード」を調べると、「人口一九八万四千(一九七〇)。」とある。「イラクの場合は十八年差だから、イランの場合はまだまし。」というわけにはいかない。同じ版の広辞苑なのに、人口の調査年月日がこのようにばらばらでは非常にまずいのだ。
     では、日本の場合はどうか。広辞苑第四版1962ページ「日本」の二十二行目には「人口一億二千万。」とある。調査年が未記入というのはどういうわけだろう。最新のデータ、つまり広辞苑第四版の出版年ということを意味しているのだろうか。東京の場合も同様で広辞苑第四版1804ページの「東京」の9行目に「人口一一八五万四千。」とある。これも調査年が未記入だ。
     イラクの首都バクダードの場合は広辞苑第四版の出版年から実に二十一年前のデータだ。中華人民共和国の場合は広辞苑第四版1662ページ「中華人民共和国」の7行目に「人口約11億三千万(一九九〇)。」とある。広辞苑第四版の出版年の一年前のデータだ。北京はどうか。広辞苑第四版2304ページ「北京」の6行目に「人口一〇八一万(一九八八)。」とある。この二年差も不可解だ。
     いったい広辞苑はどこからデータを収集し、選択しているのだろうか。極めて不可解だ。こうしたデータの載せ方をされてしまうと、参考資料として役立てようという気を起こさなくなる。それでよいと考えているのだろうか。広辞苑第四版が適当な編集によるものだと思われては困るのだ。第五版、第六版はどうなのだろう。第七版では可能な限り最新のデータを載せてほしいものだ。

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    <闇の世界勢力とは? 画像クリックで説明画面へ>







    怪しい広辞苑172「第四版184ページ・イラストマップ」

    <一日過ごせる場所 画像クリックで説明画面へ>
     広辞苑第四版184ページ「イラストマップ」一行目。「(和製語)」とあるが、これでよいだろうか。
     まず、「和製語」という語は広辞苑第四版の見出し語にはない。あるのは「和製英語」だけだ。和製仏語や和製独語も見出し語として載っていないから、もしかすると、無視しているのだろうか。ただ、言語を特定しない「和製語」という言い方によっていろいろな言語に対応させている可能性もある。しかし、今のところ、広辞苑第四版における「和製語」という表現は「和製英語」を意味しているように見える。
     ところで、広辞苑第四版1211ページでは「シュークリーム」の説明には括弧書きで(chou à la crèmeフランス)と書いてある。明らかにシュークリームとは発音が異なるので、シュークリームは和製仏語だと言ってもよいように思う。もし、シュークリームが英語ならば、さしずめ靴墨といったところだから、誤解を生む単語として扱った方がよいのではないか。つまり、シュークリームにもきちんと「和製語」という語句を示し、フランス語や英語では使わないようにしなくてはいけないという情報を与える説明にしなくてはならないと思う。この場合、原語の後にフランスと記してあるので、シュークリームに対して和製仏語などと書かなくても「和製語」という語句をつけるだけでよいだろう。
     もしかすると、この見出し語の説明の括弧内で原語を紹介しているのだから、和製仏語、つまりフランス風の和製語だということは推して知るべしということなのかもしれない。それとも、所謂和製仏語ではなく、原語に近い外来語としてとらえているために「和製語」という説明をつけなかったのかもしれない。
     しかし、これでは説明の方法がどうにも曖昧な感じがするので、和製語として紹介している和製英語についてもシュークリームと同様に原語のスペルを記して和製英語であることを推して知るべしという姿勢を貫き、和製語なる説明の語句を載せないのがよいだろう。しかし、これでは和製語と外来語の線引きが利用者の判断に任されることになってしまう。もっとも、区別する必要があるかどうかは別の問題だ。
     さて、「和製語」と記されている他の語はどうだろう。広辞苑第四版1892ページ「ナイター」では、(和製語nighter)と記されている。しかし、先程のシュークリームの例にならって、ここは(night game)と原語を記すべきところだろう。原語を示しているのだから「和製語」は省略してもよいだろう。英語の場合は国名を省略するという方針に従えば、このように括弧書きの中に原語のみを書き込むことになる。
     ところが、「シュークリーム」よりも「ナイター」の方が著しく形が異なる。だからこそ、「ナイター」の説明にこそ原語を示すべきだと思うのだが、広辞苑第四版ではシュークリームの方だけに原語が記されている。これはどうしてだろうか。
     そもそも「イラストマップ」の方は(和製語)としか記されていない。是非、原語も紹介して、英語を使うときに恥をかかないような配慮をしてほしいものだ。発展途上の学生相手の辞書として期待されているのだから試験にも関係してくる。そこは英語の辞書を使ってくれということなのかもしれないが、学生は広辞苑だけで勉強しているわけでもなく、英語の辞書だけで勉強しているわけでもない。手近な辞書でもののついでに知識を広げていくこともあるのだ。
     少なくとも「和製語」という看板を掲げた見出し語には、原語を示すのがやはり良心的な配慮だと思うがどうだろう。もちろん、紙面に余裕があるならば、「和製語」という語句も省略せずに入れておくのが丁寧だ。

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    心の断片169「雨殴りの一日」

    「雨殴りの一日」

    いきなりの
    雨が僕の胸を殴りつける
    息ができない
    目が見えない
    まるで泥まみれ
    一枚の板きれだ
    風を切り裂く無人スタンドで
    もう人間ではなくなった僕を
    鏡のような排気管であたためる
    まったく作りかけの街に
    青いアスファルトが美しく
    どこまでも頼りのエンジンが
    孤独にふるえるこの雨の一日

    また会えるかな
    今頃は僕と同じポンコツかい
    晴れた日に出かけようよ
    約束だ

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