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5/14/2006 創作昔話13「素直な蛇」その5 こんな五郎太の話を聴いて、サエは不思議に思いました。この大蛇は本当に山の神様なのじゃろうか。山の神様でなければ、大失敗。とんだ道草です。でも、五郎太が見るからに普通の大蛇でないことも確かです。 年若いとはいえ、捧げものになる人。尋常ではない育てられ方をしています。普通の大人よりも大人でした。賢いサエは試してみることにしました。「山の神様なら、山のことは何でも知っているじゃろ。」と。「山のことしかわからんのう。それにわしは山の神様じゃない。ただの蛇よ。」と五郎太。「ただの蛇がどうしてこうも大きいの。」とサエ。「ながく生きたからのう。」「どのぐらい生きたの。」「さあなあ。ずっとじゃ。」「どうして、山があるんじゃ。どうして、川が流れるんじゃ・・・。」 サエは、五郎太を山の神だと思いました。「山のことは何でも知っているし、ずっとここにいるんなら、多分これからもいるじゃろ。」だったらそれが神様だと思ったのです。ものごころついたころから話に聞かされていた山の神様は、ただただ神様というだけで、どんな姿をしているとか、どこにいるとかは全く教えてくれませんでした。誰も見た者はいなかったのです。サエはただ神様のところへ行くんだということで大事に大事に育てられていたのです。とはいっても、幼いながら本も読み、親孝行もし、山に行く前に一通りの人生を足早に歩んできたかのようです。甘やかされたわけではありません。 五郎太は、五郎次の話を思い出しました。サルなど食べなくなって、近くに知らずによって来る生き物を食べてるだけでよいようになったころのことですが、白くて、小さなサルに似た生き物に2,3度出会ったという話です。サルよりうまかったと言っていたことも思い出しました。裸でしゃがんでいるサエを見つめながら、五郎太は岩ほどもある首をぬっともたげました。 4/14/2006 創作昔話12「素直な蛇」その4 「どうじゃ。少しお話でもせんか。」五郎太はこの白くて小さくて変にあちこち体が折れ曲がる生き物に不思議な興味を持ちました。サエの方は、どんなことがあってもじっとしているんだ、苦しくても我慢しているんだと教え込まれていましたから、動こうとはしません。でも、お話をするくらいならいいじゃろ。そう思いました。 4/6/2006 創作昔話11「素直な蛇」その3 「こんな枯れ木のような体で、道のないところを歩いてきたのじゃから。折れ曲がっても仕方あるまい。」と五郎太は思いました。こんなに折れ曲がって痛くないのだろうか。ぶらぶらの足も、そのうち腐って落ちて、わしらのようにすっきりした体に近づくのだろうかと、ぼんやりと考えながら、裸でしゃがんでいるサエを遠巻きにしました。大蛇だから一匹でも遠巻きにできるのです。 「妙じゃな。」こんなに折れ曲がっているのに、サエからは血のにおいが少しも漂って来ないのです。うずくまって動かない生き物は、これまで大抵傷ついていて、血のにおいがしていることがほとんどでした。また、抜け殻もおかしなふうに小さくなっていますし、きちんときれいでした。五郎太にはサエの服が抜け殻に見えたのです。おかしなふうに小さくなっているというのは、きちんとたたんでいるということで、サエのやったことです。そして、サエの服はとても良いにおいがしていました。お香をたきしめてあったのです。 そう、サエは捧げものでした。不作続きの村々は山の神に捧げものをしようと決めたのでした。服を脱いだのもそう教えられていたからだし、山々をさまよううち、死ぬほど寂しくなっても泣かなかったのも、村々のすがるような期待を小さな背に背負っていたからだったし、大人しく身を捧げるようにと言い含められていたからこそ、尋常な娘ならたまげてしまう五郎太の姿を見ても、平気だったのです。それどころか、これでみんなの役に立てると心からうれしく思うのでした。見たこともないような大きさの五郎太を山の神に違いないと思ったのです。 3/26/2006 創作昔話10「素直な蛇」その2 チリンチリン。チリリ。チリリリリ。それは山に迷い込んだ一人の女の子。おじいさんからいつも聞かされていたことは鈴のこと。「山の中では魔よけに鈴を鳴らすもんなのじゃ。」「魔よけってなあに?」「それはなあ。人に悪さをするものよ。怖がらせたり、悲しませたりのう。」「どうして、山には魔がいるの?」「ふぉふぉふぉっ。おまえは賢いのう。鈴を鳴らせば、聞こえてはならぬものも聞こえないじゃろ。考えてはいけないことも考えることもないじゃろう?」 本当にそうでした。お守りにつけられた小さな3つの鈴の一つ一つがチリンチリン、チリチリリと鳴って、何かを打ち払っているようにも思えます。鈴さえ鳴らしていれば、泣けそうに寂しくなっても何とか我慢することもできました。だから、こんな深い深い山の中を鈴鳴らし続けさまよい歩けたのです。道らしい道などとうの昔になくなって、獣道とでもいうのでしょうか。草生い茂るとぎれとぎれの道。でも、小さな女の子は引き返すことなく、進んでいったのです。何かにひかれるという感じもしますし、逆に引き返してはならぬと背を押すものも感じるのです。しかし、そこは幼子、いくつ山を越えたことでしょう。座り込んでは歩き、歩いては座り込んでの一日となりました。 サエといいました。背は大人の腰のあたりといいますから、よほど幼い。腰まである黒髪は先をきれいにそろえられ、若草色にあかねの縞模様の着物をすねまで短く着て、山吹色の三尺帯を蝶結び。杖にした木の枝の頭にお守りを結わえてあります。疲れ切っていたせいもあるのか、五郎太が近寄っても驚きもしません。 「どこからきたのじゃ、小さいの。」五郎太が尋ねました。「向こうからよ。」「わしは向こうからじゃ。」と舌先で五郎太。「その皮は今にも抜けそうじゃなあ。」「そうよ。」と言ってするすると帯を解くサエ。うろこ模様のなくなったサエを見て、五郎太は少し戸惑いました。大事な大事なものを皮といっしょに捨ててしまうなんてとても五郎太には考えられないことだったからです。それどころか、その素直すぎる屈託のない動作に、生まれて初めて感じる恐れさえ抱いたのです。 疲れきったか五郎太の前でしゃがみ込むサエ。「うむ、妙な曲がり方をするもんだ。」こんなにあちこちに折れ曲がる体を五郎太はこれまで見たことがありませんでした。何より、体の向きは横と縦。仲間じゃないのはもはや明らかでした。 3/22/2006 創作昔話9「素直な蛇」その1 昔ある山奥の洞窟に蛇が住んでいました。胴周りは大人が一抱えするほどもあり、狐でも狸でも丸飲みにできそうなくらい。名前を五郎太、五郎次といいました。兄弟の蛇です。 大きくて目立つということなのでしょう。生まれつき、迷彩色の皮膚をしていました。皮膚といっても蛇ですから、うろこです。とても見事な迷彩模様で美しく、誰見せるともなく、五郎太と五郎次はそれが自慢でした。 洞窟の出口のあたり。少し茂ったところ。大きな体をだらんと伸ばし、ひなたぼっこをしていても、じっと動かないせいか、誰も気づきません。五郎太、五郎次がいるとも知らずによってくる野ねずみ、それに名も知れぬ小さな虫たち。そんな小さな生き物を細々と食べて暮らしていました。 動き回って探すわけではありませんから、ほんの少しの食べ物です。働くわけでもなく、遊んでいるわけでもないので、たくさんは要らないのです。ここまで大きくなったのは、たくさん食べたからではありません。ただ長いこと生きてきたからでした。そして、これまで生きてこられたのは、この模様のおかげでした。二匹にとってうろこの模様は、ご先祖様からの大事な大事な賜り物です。決して傷つけてはならぬ宝物です。 ある日、遠くの方からチリンチリンという音。これまで聞いたことのない奇妙な音で五郎太は目を覚ましました。五郎次はいつものように目を開けたまま寝ています。何だろう。五郎太のそのそ洞窟の外まで這い出ます。 もとより手足のない蛇ですから、這うのが当たり前。手足がないおかげで、足をくじくこともないし、転ぶこともありません。膝をすりむいたり、爪がもげたりもしません。余分なものは何一つ突きだしていないい、無駄のない体は神様が考えに考えた姿なのでしょう。しなやかで太くて力強い体を我ながら立派だと五郎太はいつも自慢に思っていました。小さいころは、お気に入りのその体をいろいろな形にかえて遊んだり、五郎次とお昼寝をしたりして平和に暮らしていました。平和なのは今も同じです。 さて、話を元に戻しましょう。 チリンチリン。チリンチリン。奇妙な音がする方向を眺めてみると、そこには見たこともない奇妙な生き物がいました。蛇のようでもありますが、縦長です。よく見ると、蛇のような体の途中に枝のような足がくっついている生き物です。上の方から垂れ下がっている足は地面についていないので、哀れなことにぶらぶらしています。前に進むと、いつちぎれるか分からないほど危うく揺れてしまいます。枯れ木や枯れ草のように地面から生えた形の不思議な生き物です。 何となく五郎太はわくわくしてきました。無理して見れば、おれたちに似ていないこともない。体にも模様がついています。何となくからだがぶわぶわしているのは、皮を脱ぎかかっているのでしょうか。これは新しい仲間かも知れないぞと五郎太は思ったのです。 ★ホームページに戻る 2/26/2006 創作昔話8「とんでもない金持ち」 昔ある山里に、一人の浮浪者がふらりとやってきました。あちらこちらをふらりふらりしている文字どおり浮浪者なのに大金持ちなのでした。ついに神社の横に家を建て、いつの間にか住み着くようになりました。住み着いたら浮浪者とは言いません。でも、村人たちは怪しんで、しばらくは目を合わせないようにしていました。
驚くことに、その男はあまりにお金がありすぎて、袋詰めした小判を毎朝ゴミ捨て場にたくさん捨てにいくのでした。そして、村の人たちには毎晩酒を振る舞い、土産には小判をつめた小さな俵を三俵ずつ持たせて帰らせるようになったのです。どこから連れてきたか、馬で運ばせるのですが、その馬も毎日一緒にあげていたということですから、たまげた話です。最初は驚くばかりの村人も、そのうち悔しいけれど、感心するようになりました。 小判の前にはどの村人も心がゆるみ、「大浮浪者、放浪右衛門じゃ」とあだなをつけて慕うようになりました。放浪右衛門と仲良くなろうと、村人たちはみんな自分の方から声をかけるようになったのです。お金の力の絶大なことといったらありません。 放浪右衛門は「仕方ない。泥棒たちを呼んでこよう。」と言って盗みに入らせました。でも、三日もたたないうちに、どの泥棒たちも腰を悪くして動けなくなったり、小判の下敷きになって足の骨を折ってしまったりと、それはもう悲惨なことになりました。おまけに、その泥棒たちを捕まえようとして集まった捕り手たちもいっしょになってお金を持ち運ぼうとしましたから、怪我をした泥棒たちもそのままほったらかし。
結局は重すぎて持って帰ることができず、みんな村に住み着くことになってしまいました。欲の皮はつっぱってもつっぱってもつっぱりきらないようです。
さて、噂を聞きつけた人たちが遠くから近くからどんどん村にやってくるので、すごいにぎわい。しかも、みんな大金持ちになってしまって、おかしいことこのうえありませんでした。
「10万両やるから、誰かおらの田んぼ耕してくれんかあ?」
「いや、100万両やるから、背中かいてくりょう。」
「そんなことはどうでもいい。1000万両やるから、この5000万両もってってくれい!」
だれも、働かず、何も作物はできず、ただお金があるばかりで、何の役にも立ちません。そのうちお金の動きもなくなり、みんなお金に飽いてしまい、邪魔者扱いし始めました。食べるものもなく、何か力がわいてこず、みんなうつろな目をしていました。おなかがすいていたからだけではないでしょう。お金の正体が何となくわかってしまったのです。
噂を聞いた人はみんなここへ来てしまったのですから、助けには誰も来るはずがありません。みんなぼうっとして座り込んでいます。 「さて、こんどは海を越えてみるべ。」大浮浪者はにこっと笑ったかと思うと、そのままぴょんぴょん立ち去っていきます。そうです。狐さまです。
軽くひと風吹いたかと思うと、もうここらあたりは、どこへいっても葉っぱの山また山。あとは身も心も腐った木のようにぼろぼろになって、だらしなくころがっている村人ばかりが空を見つめていました。でも、もう手遅れでした。 三日後に吹いた夜の大風で葉っぱもろとも村人たちもみんな塵のように吹き飛んでしまったということです。 ★ホームページに戻る 1/16/2006 創作昔話7「気まぐれ神様」 昔あるところに神様がいました。暇で寂しかったので、宇宙をつくり、人間の男と女を作ってみました。結構面白いので、暫くいたずらしながら飽きるまでは遊んでみることにしました。 ときどき望みを叶えてやると、喜ぶので、気まぐれに叶えてやります。するとますますありがたがって何か活動し始めます。こんなけなげな人間に神様は次第に愛着を感じるようになってきました。 でも、神様はふと思ったのです。望みを全部叶えてやったらどうなるか。興味がわいてきました。また少しいたずらしてみようと思いました。 まず人間の男の望みを全て叶えてやろう。チチンプイプイ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ あれっ。地球上の至る所に妊婦がさまよい、死体が累々と横たわっているではありませんか。浅ましいかぎりだ。これが生き物である人間の正体だ。結局は生か死なんだなあ。やはり、命という形式によるしかこの宇宙では存在し得なかったのだから仕方あるまい。そうあきらめました。神様はいたずらで、しかもあきらめが早いのです。 宇宙で遊ぶことをやめた神様は、今度は別のものに目が移っていったのでした。その刹那、こう思いました。先に人間の女の望みを全て叶えてやったらどうなったのだろう。少し興味もありましたが、どうでもいいことなので、すぐに忘れ、もう別の遊びに夢中になってしまいました。 1/2/2006 創作昔話6「遭難ぱっと見猫八伝」 昔いろいろな地方に猫の字が名前に使われている剣士たちがいた。猫江親兵衛、猫川荘助、猫村大角、猫阪毛野、猫山道節、猫飼現八、猫塚信乃、猫田小文吾だ。お互いに相手のことは知らずに日本の各地で育ち、取り立てて何か手柄を立てたというわけでもなく、今やそれぞれが一生を終えようとしていた。 もうこれまでかとそれぞれの家族が思ったとき、それぞれの剣士の体のあちこちにあった猫型の痣から、ふっと猫玉が飛び出し、宙に浮かんでゆらゆら揺れはじめた。痣は消え、もう終わりかと思えた各剣士は急に十も二十も若返り、猫玉をつかんだとみるや、屋根の上に尋常ではない跳躍力で登り、天を仰いだ。 あまりのことに家人そろって動転し、ある者は気を失い、ある者は声を上げて泣き叫んだ。当の本人たちはいたって冷静で、天の声に耳を傾けていた。「剣士、心して聴くべし。時来たれり。集まりて世をただすべし。猫玉たよりて果たすべし。これ言の葉のままに叶う如意玉なり。八つにして一なるものなり。一にして八つなるものなり。忘るべからず」と。孤独な人生を歩んできた八剣士は、天の声が終わるのも待たず、剣士たちは相談したかの如く、猫玉に向かって「いっしょに集まろう!」と声をそろえた。若い頃からの夢である「仲間とともに大きな仕事をする」そのチャンスが人生の終わりにやっと巡ってきたのだから仕方あるまい。 「愚かなり」天の声は消えながらつぶやく。剣士たちは早まったことをしたのだ。いっしょに集まるとは、指定がない限り、言葉のままに同じ場所に同時に集まることであった。日本の各地にいる者たちが同時に出発し、同一速度で、同一場所に同時に集合するということは二つの方法のうちの一つを選択せざるを得ない状況に猫玉を追いやったのだ。猫玉は八つにして一なり。一にして八つなり。だから仕方ないのだ。猫玉はしゅうしゅうと音を立てながら彼ら八剣士の手の中で小判型の猫玉は二つに割れていった。力を失ったのである。 もし猫玉が自らを破壊しなければ、剣士たちは地球の中心部に向かって突き進み、核の中央あたりで合体することになる。あるいは、無限の彼方の宇宙の果てに向かって永遠に突き進むことになる。どちらにしても生きてはいられない。たとえ生きていても、そこにただすべき世の中は存在しない。世の中を彼らがただしていくのを支えるのが猫玉の使命なのだから、とりあえず自分を破壊し、彼らを少しの間でも生かす方法をとるしか方策はなかったのだ。哀れなり猫玉。 性急な八剣士は、一瞬のうちに天の声も忘れ、みるみる間に十も二十も年老いて元の姿に戻っていき、それぞれがそれぞれの場所で息を引き取っていった。何のために剣の技を磨き、これまで生きてきたのか。強力な武器である猫玉まで手に入れながら潰えたのであるからなおさらである。それはこんな話を後の世に残すためだったのだとしか言いようがない。 それはさておき、 「猫に小判」とはこの間抜けな話からできた言葉だとさ。 戌年だから、猫の話にしてみた。馬琴に叱られそうだ。 12/31/2005 創作昔話5「仲良し」 昔あるところに5人の仲良しがいた。仲は良くても、大将がいて、参謀がいて、使い走りがいて、お茶目がいて、おとぼけがいた。ある時、誰だったか、こう
つぶやいた。「自由平等にしないか?」なるほど美しい言葉だ。みんないっぺんに賛成した。次の日から自然に仲良しチームは歯が抜けるように解散していっ
た。最後の二人は参謀とお茶目だった。何か言いたそうな参謀を背にして、お茶目は軽い足どりで明日のことを考えていた。 一人一人が重荷を負った。自由と平等を維持するための努力と責任は一人一人が負うにはきついのだ。そのストレスを解消するため、考えられることはすべて した。人の心を持つ以上、そのこと自体が新しいストレスになった。だけど、自由で平等なんだという誇りが一人一人を支えていた。 ある時、お茶目が普段は読まない本を書物をこっそりひもといた。どこからか使い走りが持ってきたのだ。その一節に「自由ならんと欲すれば、平等ならず。平等ならんと欲すれば、自由ならず。」とあった。 ろくに話し合いもせず、美辞麗句に惑わされ、良き日は去ったのか。だけど、自分たちで選んだ道だから、それがたとえ茨の道でも我慢しようじゃないか、いや 全うしようじゃないかと思った。そう思った自分自身にちょっと成長した自分を感じて少し得意げになったお茶目はまた軽い足どりで道を歩き始めた。「大将、 参謀、おとぼけは今頃どうしているだろう。」でも、かつての仲間のことは頭からすぐに消え去り、自分自身の貧しい明日のことでまたいっぱいになった。 自由平等という文句がテレビから聞こえたので、浮かんだ物語を書いた。あたためてないので、いまいちだ。こんなことでは〆切ピンチ。でも、それがスリル?元日からがんばればいいかあ。 12/24/2005 創作昔話4「サンタ」 昔も今もあるところにサンタさんが住んでいます。彼は一晩で世界中の子どもたちにプレゼントを配らなくてはいけません。だから、トナカイを何匹も用意し
ておく必要がありました。配達中に何匹も足を折ったり、心不全で死んでしまったりするからです。世界中のいろいろな気候を一度に体験することになるからで
す。だから、予備のトナカイの品種改良もたいへんです。熱帯種のトナカイを作るにはとても苦労をしたものです。そんなこんなで随分とたいへんな準備。 プレゼントにしても膨大な数を用意しなくてはならないし、スポンサーがいないので、資金調達も裏の世界と通じなくてはいけませんでした。これが何よりも サンタの心を痛めていました。それにたった一年で準備をしなくてはいけないのです。不可能に近い仕事です。だんだんサンタはサンタの仕事が嫌になってきま した。でも、それは報酬がないので、仕事ではなく、ボランティアでした。そうです。ノルマは自分で定めたらいいのです。サンタはそう考えることでやっと ほっとすることができました。 しかし、サンタは善意の人。技術開発を重ね、プレゼントの数を増やしたり、配達システムを改善していきました。プレゼント作製から配達までのオートメー ション化です。そのために世界中の人々の知恵と力とシステムを借りました。最終的な配達も子どもたちの親に委託しました。 その結果、どんどん裏の世界の世界は力を持ち、世の中がとても悪くなってきました。そして、よい子の数もどんどん減っていきました。その数は次第にサンタが一人で配ることのできるほどの数に近づいていったのです。 だから、今、サンタさんからの本当のプレゼントをもらっている子どもと、そうではないプレゼントをもらっている子どもと、何ももらえない子どもの三種類の子どもがいるのです。 ここで一句「プレゼント散多のサンタは赤字で惨多」 はい、おしまい。 サンタからクリスマスプレゼントは小学校以来もらったことがない。僕は悪い子なのだろう。来年はよい子になろう。 12/11/2005 創作昔話3「宇疎野物語」 今は昔、名もなき虫どもありけり。あるものは罌粟の実ほどなる頭をかしげるに、食らうべきものめざとく見つけ、数を頼みて歩く。数珠のつなぐに似たり。
また、あるものはひとの手ほどもあるに、暗きところせまきところより出で、足早なり。小さき子など「ありくよ、ありくよ」と笑ふ。また「ありくものあり」
と言ひ、名など問ふものもあり。こたえがたく「ありくものあり」と繰り返し言けるよりぞ、この虫どもをば「あり」「くも」とは言ひ始めける。
恐ろしいことに今回は古典風。今昔物語仕立てにしてみた。少し強引だが、まあこれが僕の限界。 12/4/2005 創作昔話2「父と母」 昔、あるところにお父さんとお母さんがいました。お父さんは山登りにお母さんは川下りに行きました。昔話はいつもおじいさんとおばあさんのお話なので、今日はお父さんお母さんの話です。 お父さんは山の頂上で八方と叫びました。頂上では四方八方の世界に呼びかけたのです。やがて俺はこの四方八方の世界を自分の手中に収めるのだと。この四 方八方が大は小を兼ねるから八方だけになり、ついには今の「ヤッホー!」という言葉になりました。このお父さんの野望が綿々と我々の心に引き継がれ、つい ヤッホーと叫んでしまうのです。 近頃はこうした大きな野望の持ち主が少なくなり、お金や女、名誉などちっぽけな欲望だけを満足させて喜んだり、人生を楽しんでいると勘違いしたりしているちっぽけな人間が多くなり、山で「ヤッホー!」と叫ぶ人がいなくなりました。 もちろん本当はそういう人種が少なくなっただけで、絶滅したわけではありません。少数派になったので、所信を表明することに抵抗を感じるようになり、心の中で「ヤッホー!」と唱えているだけなのです。 自分の満足だけで終わるということは自分の世界だけを見ているということで、四方八方の世界を視野に入れる度量がないということです。支配のためではあ りません。野望といっても大きな希望ということで、紙一重ではありますが、平和で理想的な社会をめざすということです。これが男の野望であってほしいので す。ほら、「ヤッホー!」といまだに叫ぶ人。純粋で理想を追求する人じゃないですか? 一方、お母さんは川を下って海に向かいました。淡水と海水の境界に住む貝を採りに行っていたのです。しかし、運悪く海に流され、二度と戻ってきませんで した。ついに海の母となったのです。これがのちに「生みの母」となりました。母を失った子どもたちが寂しそうに「お母さんはどこにいるの?」と聞く度にお 父さんから「海に行ったんだよ。」と答えていたからです。これを聞いていた近所の人々が不憫に思って後妻を世話することになりました。年々育つ子どもた ち。 しかし、海に流され外国船に救助された母は、生きていたのです。異国の地では異国の男を頼らねば生きていけませんでした。それは地獄の苦しみでした。神 を呪い、自分を責めながら、幾とせも経ちましたが、神はいつまでも人を捨てておかないものです。機会を得て、またこの国に戻ることができたのです。幸運な ことに国と国とのつながりが生まれ、通訳が必要となったのです。 やがて自ら腹を痛めた子たちに合います。もう成人し妻もめとっていました。さて、どんな再会となったことやら・・・・・・。生みの親より育ての親という言葉があります。しかし、別離の年齢に関係あるかもしれませんが、育ての親より生みの親という場合もありましょう。 お父さんがこの国と異国との関係づくりに命をかけていたのは全くの偶然でした。その過程で文字どおり命を落としていたのですが、もし、この母と子の再会を目にしていたら何と言ったものでしょうか。 「生みの親より育ての親」「育ての親より生みの親」どちらも続く言葉を 省略しているので、文章や話の流れの中で両方とも使用可能になる。一般的には前者を使用する。でも、生みの親探しをする子どもは多い。というより100% それを行う。血のつながりというのは深いものがあるのだ。母を探すと言うよりも自分の根っこを探す意味合いも強いのかもしれないが。 ところで、このお父さん、家庭を大事にすることができなかったとすべきか。それでなければ大きな仕事はできないからなあ。後妻ができた人で家庭をしっか り守ったとすればよいのかな。だとすると、再会はどうなったか。子どもたちは複雑に揺れる。それは不幸だ。だから、妻もめとっているということにしたのだ が、・・・・・・。うーん。105歳の人生経験ではこの話をうまく構成しきれないなあ。残念。 11/29/2005 創作昔話1「ペンキ塗り」 昔あるところに2人のペンキ塗りがいた。酒を飲みつつペンキ談義をし始めた。 普通のペンキ塗りは言う。僕はペンキ塗りが好きだけど、塗っている間にどうしてもペンキを落としてしまうことがあるんだ。だから、きちんとシートを敷いて汚さないようにしているんだ。これでお客様も安心だし、僕も安心して作業ができるのさ。 すると、ペンキ塗りの達人が言う。僕は長年努力に努力を重ね、ペンキ塗りの極意を会得した。だから、もう一滴も下にペンキを落として汚すことがない。だ から、もうシートを敷かないんだ。そうすることでお客様もそれを見て納得し、僕の腕を高く評価してくれるので、どこでも雇ってくれるし、僕も絶対にペンキ を落とせないんだという緊張感を持って間違いなく仕事をすることができるのさ。 それを聞いていた隣のテーブルのほろ酔い気分の老人が小さな声でつぶやいた。昔、伝説のペンキ塗りはなあ。シートを厳重に敷いて、しかも一滴もペンキをこぼさなかったものよ。 ペンキ塗りの話と老人のつぶやきを聞いていた後ろのテーブルの若者が杯を置きながら心の中でつぶやいた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。はい、おしまい。 このブログを見つけた僕の子どもに進化する昔話を創作してみた。昔話第1号だ。・・・・・・で終わる昔話は変かもしれないが、読んだ年齢によって「・・・・・・。」の内容が変化して進化していくと面白いのだがどうかな? こんなことを書くなんてやっぱり105歳というのは年寄りだなあ。 ★ホームページに戻る |
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